Itsukushima Perry

The history of the classical guitar scene in the Tohoku area東北圏のクラシックギター界の歴史

東北圏(青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県)における、クラシックギタリストの活動ならびに系譜について作成しています。



  • 仙台市の仙台マンドリンクラブの前身でアルモニアというマンドリン合奏団が澤口忠左衛門により大正12年(1923年)に創立されている。
  • 1924年(大正13年)「マンドリン・ギター研究」として刊行された年、弘前マンドリン倶楽部が新たに発足しており、会津フィルハーモニックソサエティーと2団体が1924年代に存在していた。
    [*参照]:マンドリン・ギター研究(オルケストラ・シンフォニカ・タケイ発行) [*参照]:「アルモニア」より

  • 1930年10月3日 加賀谷憲一ギター独奏会(秋田)秋田商工会議所
     メヌエット(ソルニ十五番)主題と慶奏(ソル九番)西班牙の小夜楽(マラッツ)マヅルカ(タルレガ)アルハムブラの思ひ出(タルレガ)メヌエッ ト(デ・ラ・マサ)トナデイリァ(ゼゴヴィア)カタロニアの旋律(リヨベート)真紅の塔(アルベニス)グアヒーラ(プジョール)


  • 1933年 [宮城県下のマンドリン音楽]
    石巻市の菅ノ叉信太郎氏は目下マンドリン合奏団を組織中で14,5人集ってて練習している。
    近く其の発表を見る筈である。
    古川町の近藤善兵衛氏も同志を集めて研究中である。刈田郡円田村に「サトウ・クアルテット」がある由である。
    [*参照]1933-38-Armonia/P.29

  • 1933年4月22日 加賀谷憲一氏ギター独奏会


東北圏 年表

 
1924年(大正13年)6月29日 弘前マンドリンクラブ私演会 
1924年(大正13年)??月??日 仙台アルモニア合奏団を結成 [澤口忠左衛門]
1924年(大正13年)8月22日 会津フィルハーモニックソサエティー第2回音楽会(マンドリンの夕べ)
1929年(大正18年)2月8日 仙台エストウディアンティナ「アルモニア」 第5回演奏会(指揮:澤口忠左衛門) 東北帝大法学部大講堂
***** ***************
1929年6月8日 マンドリナータ・デイ・ヒロサキ 第9回演奏会(指揮:木村絃三) 弘前公会堂
1929年11月2日 仙台エストウディアンティナ「アルモニア」第6回演奏会 指揮:澤口忠左衛門 於 東北帝大法学部大講堂
1930年6月3日 大河原義衛 来仙 HK放送よりギター放送
1930年6月14日 仙台エストウディアンティナ「アルモニア」第7回演奏会 指揮:澤口忠左衛門 於 東北帝大法学部大講堂
1930年(昭和5年)10月3日 加賀谷憲一ギター独奏会(秋田)秋田商工会議所
1930年(昭和5年)11月7日 東北帝大マンドリン・オーケストラ組織された。
1930年(昭和5年)11月14日 仙台エストウディアンティナ「アルモニア」第8回演奏会
指揮:澤口忠左衛門 於 東北帝大法学部大講堂
1931年(昭和6年)5月8日~10日 「アルモニア」五周年記念。
於 東北帝大法学部大講堂
1931年(昭和6年)5月8日 仙台エストウディアンティナ「アルモニア」第9回演奏会
於 仙台西公園公会堂
1931年(昭和6年)5月9日 大河原義衛氏ギター独奏会 於 仙台西公園公会堂
1931年(昭和6年)5月10日 中野二郎氏マンドリン独奏会・5周年記念祝賀茶話会 於 仙台西公園公会堂
1931年10月3日 加賀谷憲一氏ギター独奏会 (秋田商工会議所)
1931年(昭和6年)10月23日 アルモニア・マンドリンオーケストラ 第10回演奏会
1931年(昭和6年)11月9日 アルモニア・マンドリンオーケストラ演奏放送 仙台放送局
1932年4月23日 マンドリナータ・デイ・ヒロサキ 10周年記念演奏会
1932年(昭和7年)11月7日 東北帝大マンドリン・オーケストラ組織され、演奏会開催。
1932年(昭和7年)11月20日 第12回アルモニア演奏会 場所:西公園公会堂にて開催。
1933年4月22日 加賀谷憲一氏ギター独奏会 (新潟)
1933年4月29日 慶應義塾マンドリン倶楽部演奏会(指揮 服部正) 仙台 主催 アルモニア
後援 仙台三田会、仙森育英中学校学友会、河北新報社
1933年5月9日 酒井富士雄 新会員として「アルモニア」に参加。
澤口忠左衛門氏に師事。
1934年1月21日 服部正クインテット演奏会[育英中学創立記念祝賀会]
1934年4月20日 加賀谷憲一氏ギター独奏会「スペイン芸術の夕」4丁目教会講堂(秋田)
クラブ・デ・バルド主催
1934年6月17日 マンドリナータ・デイ・ヒロサキ第17回演奏会 弘前公会堂
1934年10月6日 オルケストリーナ・ア・プレットロ・デ・ハチノヘ第10回演奏会[指揮及ギター独奏:永田 譲]
1934年11月14日 酒井富士夫氏ギター独奏会 仙台斎藤報恩会講堂
1935年11月16日 東北帝大マンドリンオーケストラ (指揮:柴山猛大氏 賛助指揮:長谷川千秋・葛西清美氏)東北帝大法学部講堂
1936年(昭和11年)??月??日 澤口忠左衛門「アルモニア合奏団」を解散。アルモニアの刊行と楽譜の出版に専念
1936年11月14日 酒井富士夫独奏会 於:仙台斎藤報恩会館講堂(仙台ギター同好会主催)
1936年11月23日 酒井富士夫ギター独奏会 於:蠶絲(さんし:養蚕や生糸製造)会館
1939年7月8日 アカデミア・ギタラ・サカイ  父兄招待私演会 第3回 [電気協会講堂]
三重奏:相馬千里・佐藤喜一郎・酒井富士雄
独奏:打谷精二・江面ミヤ子・中村八重子・平田英三・原島利一・青砥陽二・室町公次
二重奏:相馬千里・佐藤喜一郎
独奏:酒井和枝・工藤多美子・佐藤喜一郎・相馬千里     
1941年(昭和16年)12月7日 太平洋戦争勃発
1942年(昭和17年)??月??日 阿部保夫(17才)第1回リサイタル開催:戦時下のため軍歌も取り入れる(石巻市)。
1945年(昭和20年)9月2日 太平洋戦争終結
1946年(昭和21年)1月11日 沢口忠左衛門の逝去
「アルモニア」誌の廃刊
1949年??月??日 阿部(幕田)慶司 第1回リサイタルを仙台で行う。
1950年4月11日 五所川原タンブルクレールギタークラシカ 青森県五所川原公民館
1951年5月5日  阿部慶司第1回ギター独奏会:於 仙台商工会議所
1954年??月??日  『アルモニア誌』の復刊(復刊・第1巻 第1号:第91号)
高橋 功[主幹]・小倉 俊・小西誠一(ペンネーム松本太郎)・中野二郎[顧問]
1954年3月17日  阿部慶司ギター独奏 JOHK放送
ジュリアーニ作品15番ソナタの第一楽章 , バッハ作セゴヴィア編ドーブル,
スペイン民謡「愛のロマンス」(映画「禁じられた遊び」及「血と砂」のテーマ)
1954年3月26日  岩手医大マンドリンオーケストラ演奏 JOHK第2放送
ムニエル「甘い哀愁」、べートオベン作「エリゼのために」
1954年?月??日  佐藤貞樹 ギター連盟青森県支部が結成(青森)
1954年9月3日  小原ギター研究所: 小原佑公 主催(花巻小学校講堂:岩手県)
1954年10月16日  京本輔矩独奏会(市政30周年記念第6回市民文化祭)福島県郡山市
1954年10月29日  仙台マンドリンクラブ演奏会 阿部慶司が賛助出演
1954年12月19日  仙台マンドリンクラブ演奏会 郵政局レクリエーションセンター
指揮・ギター独奏:高橋功/久郷正(G)・米山春夫(G)・伊藤政次(Mn)・木下三郎
1955年6月5日  仙台マンドリンクラブ春期演奏会 指揮:高橋功 仙台市労働会館
1956年7月28日  仙台マンドリンクラブ・比留間マンドリンアンサンブル合同演奏会 朴沢学園講堂(仙台)
1957年7月14日 黒石マンドリンクラブ 第8回演奏会 黒石小学校音楽堂 (青森県)指揮:三上茂晴
ギター三重奏(船水、三浦、山田)
1957年7月20日 仙台いづみギター研究所 第7回発表会 (裔工会議所ホール)
特別出演:阿部慶司
1958年4月9日  『ヘスス・ゴンサレス・モイーノ 』秋田公演
1958年5月27日  『ヘスス・ゴンサレス・モイーノ 』仙台公演
1959年11月08日  仙台マンドリン・クラブ[米山晴 夫、稲垣孝次氏の指揮でマンドリン合奏、 独泰、ギター合奏:於 仙台商工会議所講堂
1963年5月14日 ナルシソ・イエペス リサイタル 於 秋田市民会館(秋田市)
1963年5月15日、16日 ナルシソ・イエペス リサイタル (青森市)
1963年5月21日 ナルシソ・イエペス リサイタル (仙台市)
1967年10月7日  盛岡古典ギター愛好会演奏会 教育会館(盛岡)
1967年10月25日  東北ギター音楽協会定期演奏会 仙台市公会堂(仙台)

[*参照]:マンドリン・ギター研究(オルケストラ・シンフォニカ・タケイ発行)
[*参照]:「アルモニア」/「ギター日本」


※ 澤口忠左衛門 [ 1902年 - 1946年 ]

仙台に生まれ、家の事情で上級学校に進学はせず銀行員となる。
マンドリンの名手。
東北帝大のマンドリンクラブに手伝いに行ったりしているうちに、次第に仲間が集まって合奏ができるようになり、大正13年に仙台アルモニア合奏団を結成、昭和2年に機関紙「アルモニア」を発行。

当時旧制2高の学生であった高橋功は合奏団のコンサートマスターとして抜擢され、また機関紙編集の手伝いを創刊号からしたという。

昭和6年の五周年記念に当たって、アルモニアの事業を、年2回の定期演奏会、楽譜の蒐集整備、機関紙と楽譜の出版頒布、海外楽譜文献取次、教授所開設指導促進の五つに大別して、積極的な活動を展開した。
この頃の出来事としては昭和4年にアンドレス・セゴビアが初来日し、ギター界に大きな影響を与えている。
機関紙アルモニアは仙台にありながら日本各地のマンドリン・ギター関係者から大いに期待され、歓迎されたようである。

昭和10年結核を患った沢口は昭和11年に合奏団を解散し、アルモニアの刊行と楽譜の出版に専念し、心血を注ぐことになる。

次第に戦時色濃くなり、誌の出版は困難となり、昭和16年11月、90号でアルモニア誌は廃刊(休刊)となった。
戦時下、空襲から楽譜や資料、楽器を守るために家財道具より優先して疎開させた沢口夫妻の苦労と熱意が伝わってくる。
沢口は無事に疎開先から戻った楽譜や資料を見るが、それに十分に目を通す間もなく昭和21年、43歳で他界。








GUITAR


このページでの紹介人物 : 澤口忠左衛門 高橋 功 酒井富士夫  加賀谷憲一 阿部保夫 幕田(阿部)慶司
           







<< 前のページに戻る



澤口忠左衛門
澤口忠左衛門

澤口忠左衛門[Chuzaemon Sawaguchi]

大正13年に仙台アルモニア合奏団を結成、昭和2年に機関紙「アルモニア」を発行しました。
[ 1902年 - 1946年 ]

仙台に生まれ、家の事情で上級学校に進学はせず銀行員となる。
マンドリンの名手。
東北帝大のマンドリンクラブに手伝いに行ったりしているうちに、次第に仲間が集まって合奏ができるようになり、大正13年に仙台アルモニア合奏団を結成、昭和2年に機関紙「アルモニア」を発行。

当時旧制2高の学生であった高橋功は合奏団のコンサートマスターとして抜擢され、また機関紙編集の手伝いを創刊号からしたという。

昭和6年の五周年記念に当たって、アルモニアの事業を、年2回の定期演奏会、楽譜の蒐集整備、機関紙と楽譜の出版頒布、海外楽譜文献取次、教授所開設指導促進の五つに大別して、積極的な活動を展開した。
この頃の出来事としては昭和4年にアンドレス・セゴビアが初来日し、ギター界に大きな影響を与えている。
機関紙アルモニアは仙台にありながら日本各地のマンドリン・ギター関係者から大いに期待され、歓迎されたようである。

昭和10年結核を患った沢口は昭和11年に合奏団を解散し、アルモニアの刊行と楽譜の出版に専念し、心血を注ぐことになる。

次第に戦時色濃くなり、誌の出版は困難となり、昭和16年11月、90号でアルモニア誌は廃刊(休刊)となった。
戦時下、空襲から楽譜や資料、楽器を守るために家財道具より優先して疎開させた沢口夫妻の苦労と熱意が伝わってくる。
沢口は無事に疎開先から戻った楽譜や資料を見るが、それに十分に目を通す間もなく昭和21年、43歳で他界。

高橋 功 Isao Takahashi

高橋 功
高橋 功
  • 昭和期の医師,ギター奏者 日本ギタリスト協会名誉会長。
  • 生年 明治40(1907)年6月8日
  • 没年 平成15(2003)年10月26日
  • 出生地 宮城県仙台市
  • 別名俳号=草児
  • 学歴〔年〕 東北帝大法文学部ドイツ文学科〔昭和7年〕卒,京城帝大医学部〔昭和11年〕卒
  • 学位〔年〕 医学博士
  • 主な受賞名〔年〕 朝日明るい社会賞〔昭和37年〕,日本医師会最高優功賞〔昭和43年〕,ガボン共和国有功章,国際厚生事業功労者〔昭和63年〕
  • 経歴 昭和11年東北大附属病院眼科に勤務するが、応召され陸軍軍医に。
    復員して22年開業。
  • 33年 アフリカ・ガボンのランバレネに渡り、シュバイツァー博士の助手として8年間を過ごし、ハンセン病対策などに従事。
  • 41年 帰国後、聖マリアンナ医科大学講師、日本コンタクトレンズ研究所顧問などを務めた。
  • ギター奏者としても知られ、44年以来フランス国営放送主催のパリ国際ギターコンクール審査員も務めた。
  • 著書に「私の自叙伝」、「生命への畏敬」などシュバイツァー博士に関するもの30余冊の他、「ノーベル賞の人びと」「評伝〈古賀政男〉」などがある。
  • [* 出典]:20世紀日本人名事典 「高橋 功」の解説
    日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について

酒井富士夫 Fujio Sakai

酒井富士夫
酒井富士夫

酒井富士夫 Fujio Sakai

  • 1909年-1978年
  • 1909年[明治42年] 新潟生まれ
  • 日本大学工学部に入学、病のため中退。
    以後音楽を広く独習。

  • 1933年5月9日 新会員として「アルモニア」に参加。
    澤口忠左衛門氏に師事。
  • 澤口氏の”仙台アルモニア”でギター部指導。
  • 1936年11月14日 酒井富士夫独奏会 於:仙台斎藤報恩会館講堂(仙台ギター同好会主催)
  • 1936年11月23日 酒井富士夫ギター独奏会 於:蠶絲(さんし:養蚕や生糸製造)会館
  • 1938年12月1日 アカデミア・ギタラ・サカイ最初の発表会 [札幌商工会議所]
  • 1939年7月8日 アカデミア・ギタラ・サカイ  父兄招待私演会 第3回 [電気協会講堂]
    三重奏:相馬千里・佐藤喜一郎・酒井富士雄
    独奏:打谷精二・江面ミヤ子・中村八重子・平田英三・原島利一・青砥陽二・室町公次
    二重奏:相馬千里・佐藤喜一郎
    独奏:酒井和枝・工藤多美子・佐藤喜一郎・相馬千里
  • 1940年春 
    のち東京に移り、旧制東邦音楽学校(現音大)、日本音楽学校(現音高)でギター科と音楽歴史を担任。
    リサイタル、放送、TVなど多く体験。
    この頃に、「アンダルシア四重奏団」を結成か?
  • 1942年6月2日 アカデミア・ギタラ・サカイ(第8回)発表会 於東京産業会館
       ギターラ四重奏[酒井和枝・原島・佐藤喜一郎・酒井富士夫]
    佐々木卓治・酒井良朗・清水ヨシ子・高津キミ子・月井康清・長澤京子・尾形訓子・室町公次・佐藤久弥・相馬千里[賛助:マリー・クレマー(ソプラノ)]
  • 1942年11月6日 アカデミア・ギタラ・サカイ発表会 於東京産業会館    ギターラ四重奏[酒井和枝・三ツ谷信栄・室町公次・酒井富士夫]
    柏原正司・山本隆康・佐々木卓治・酒井良朗・光岡三郎・尾形訓子・佐藤久弥
  • 1948年11月15日 アカデミア・ギタラ・サカイ第14回演奏会 於 毎日ホール
  • 1955年3月18日 アンダルシア四重奏団[主催 酒井富士夫] NHKミュージックサロン出演
  • 1955年4月10日 アンダルシア四重奏団[主催 酒井富士夫] NHK海外放送出演
NO IMAGE
加賀谷憲一

加賀谷憲一 [Kenichi Kagaya]


 

加賀谷憲一 [???? - ????]

ギター専門誌「アルモニア」は、1927 年 1 月から 1941 年 10 月まで、仙台の澤口忠左衛門によって発行されていました
その「アルモニア」誌に1932年から1934年にかけて、寄稿されていました。 現在の所、それ以外、加賀谷憲一氏の情報は見つかっていません。

1932年11月 九月の感想 ...加賀谷憲一
1932年12月 雑感 ...加賀谷憲一
1933年12月 レヒーノ・サインス・デ・ラ・マサ ...加賀谷憲一
1934年6月 ドミンゴ・プラトと彼の芸術(下) ...加賀谷憲一

※上記の中から、下記の寄稿文を掲載いたします。

1932年9月 六月の感想 ...加賀谷憲一[1932-33-Armonia]
セゴビア来朝以来、本邦ギター界は著しく長足の進展を為し遂げつつあることは紛れもない事実であるが、しかし、内面的に是を観察するとき、その研究には奮態依然たるものが随所に見られるのである 。
それは 、若しそれ我邦のギター界の不幸な歴史について考えるな らば、 かつて自ら先駆者を以て任する或る一派の独断的な捏造的研究に誤られて、暗中模索に終始してゐた斯界が途にその針路を失って、長い間邪道を迂路ついていたことに不思議はないのである。
ギターの技術上の指導について特に顕著な過誤を挙げ得るだろう。
然し乍らその事については 、私は余り語る事を欲しない。
ただ 、ギター作曲家と言へばホゼ・フェルレルの一点張りで、 然もフェルレルを以てギターの大作曲家であるかの 如く祭り上げ、彼の甘いいセンディメンタリズムに随喜の涙を流し、 或は又・・・アルカス、ヴイニャスは別として・・・ダマス 、 カノ ー、 アルバ、シマデイヴィリャの如き直線的音楽を以て近代スペ イン作曲家の群などと教え込まれた吾邦ギター界は又不幸であ ったと言わなければならない 。

現時本邦ギター界を観るに、 依然としてアルバ、 カノ ー、 ブロカ等がより多く迎えられ更にヘンツェ 、プ ラッテン等の如き偏平な音楽が迎合されている状態である。

現時の吾邦ギター運動は、 もはやカルカッシイやフェルレルの時代では無い筈である。
彼等の直線的音楽の研究は、ある一派のロマンティス ト に委せて置けばよい。
荀も其摯なギタ一音楽研究家にとつては彼等の音楽に長く止まる必要は決して無い。
一瞥を与えるだけで充分である。

何となれば、 彼等の―音楽はギターの歴史に於ける一つの経過にすぎない価値し かないのであるから 。
寧ろ、ソル、ジュリアーニ等の古典の精紳をしつかり 把握すると共に、 タルレ ガ、アルカス、ヴィニヤスから、プジョール、リョベット、フォルテア、プラト、新しいところではサインス・デ・ラ・マサ.ファン・パルラス等の作品を探究され度いものである。
彼等の豊富な音楽は実に多くの研究資料を提供するだろう。
更に又リョベット、セゴヴイア、プジョールの努力から、デイ・ファリャ、トウリナ、トルロバ、を初め、ポンセ、アルフォンソ・ブロカ等によって招致されたところのギター音楽のはなばなしいルネッサンスを迎えた今日、何を好んでアルバ、ブロカ、フェレル、カノー等に帰る必要が有るのか、すべて研究な深遠なる理想を必要とすると同時に又狭隘な心を以てしてはならない。
私は現在の如く、我邦のギター界を流れてゐる好ましからぬ低廻趣味を苦々しく思うものである。
一般大衆を目標とする普偏的な研究も在つてもよいが、同時に又ギター芸術の深奥を究むるより高い研究も望ましいものである。(1932/6/27)

[*転記]:digitalguitararchive/1932-33-Armonia誌より

阿部保夫 Yasuo Abe

阿部保夫
阿部保夫

1925年-1999年
クラシックギタリスト

1925年(大正14年)9月15日生れ(宮城県石巻市)
1936年(昭和11年)12才からギターの勉強をはじめる。
1942年(昭和17年)17才の時に地元で第1回リサイタルを開く。(戦時下のため軍歌も取り入れる)

同時期石巻交響楽団のアコーディオンを担当する。

1945年 (昭和20年) 主計少尉として中国の羅南に入隊し終戦時に広島に復員する。
1947年(昭和22年)上京(大蔵事務官として転任)する。
1948年(昭和23年)阿部ギター研究所設立する。

池内友次郎氏(作曲)、小船幸次郎氏(演奏理論)に師事する。

この時期、古賀政男氏主宰の「古賀ギター歌謡学院」で講師を勤める。

1949年(昭和24年)第1回全国ギターコンクールで第1位を獲得。
1954年(昭和29年)7月にイタリアのキジアーナ音楽アカデミーへ留学し、ギターの神様アンドレス・セゴビアとプジョールに師事する。
1956年(昭和31年)の帰国後は、リサイタル、オーケストラとの共演と活躍し、教育者としても、多くの門下生を育て上げ、NHK教育テレビの「ギター教室」の講師としても活躍しました。
1969年(昭和44年) 日本ギタリスト協会発足、初代委員長として10年余りコンクールを主宰する。 1999年(平成11年)12月26日に、心筋梗塞のため死去(74歳)。

[*参照]2005 Abe Guitar Laboratory[阿部恭士]氏Webページより

幕田(阿部)慶司 keiji Makuta

幕田慶司
幕田(阿部)慶司(1960年頃)

1930年 宮城県石巻市に生まれる。

12歳のころより兄阿部保夫についてギターを学び、後に菅ノ又信太郎氏について音楽理論を学ぶ。
1948年 旧制第2高等学校に入学。
1949年 第1回リサイタルを仙台で行う。
1951年 東北大学医学部に入学、同年以降ギター独奏者として仙台中央放送局よりたびたび全国中継にて放送を行う。
1951年 阿部慶司第1回ギター独奏会:於 仙台商工会議所
1956年 東北大学医学部大学院に入学。医学研究のため演奏活動を中止する。
1960年 大学院を卒業、医学博士となり、今日に至る。

リュート曲のギターへの編曲多数あり。
論文:「リュートの歩んだ道」「エリザベス朝のリュート音楽」など。

<< 前のページに戻る