Itsukushima Perry

The first Japanese person to perform guitar solo in public was Bunzo Sekine.ギター独奏を初めて公にした日本人は関根文三氏である



『ギター独奏を初めて公にした日本人』として、武井守成男爵の「マンドリンギター及び其オーケストラ/本邦斯界過去現在/P.445」の中で、 『関根文三』との記述が有り、ギター黎明期として多くの引用文として掲載されています。
然しながら、関根文三氏の生年・没年・経歴などのデータは見当たりません。

(イ).『ギター独奏を初めて公にした日本人』としての内容は、下記に記述の 1915年(大正4年)6月20日(第3回 音楽普及会):慶應義塾マンドリンクラブ/KMC演奏会記録 : [ギター独奏 : 関根 文三(ギター)]を指しています。

(ロ).また同年(1915年)7月3日 大学(第4回) 大音楽会 では、『ギター合奏』として、サルコリ、関根、L.クリンゲン、西川夫人、ベルタッツォーリ、イーストレイク、大口嬢、田中 と共に演奏に参加。[※1]

(ハ).それより古くは、1912年(明治45年)5月28日 師恩感謝音楽会(慶応マンドリン・ギター・バンド)共立女子職業学校講堂・・・第一部[四.]マンドリン合奏:ザルコリ氏・浅井氏・服部氏・伊藤氏・関根氏・佐本氏・佐藤氏・仙石氏・内田氏・田中氏・牟田口氏

(ニ).最近になって(2025年5月)、 ~「前文略」~『斯(か)くして9月(1916年9月)から新たに小笠原牧四郎氏[※2]と関根文三氏とを迎え、前者はマンドラへ後者はギターへそれぞれ新しい力を加えることになりました。』~「後文略」~。と、武井男爵主催のOSTへの参加記述を見つけました。[※3]

上記2回の演奏会、『慶應義塾マンドリンクラブ演奏会』と「シンフォニカ・マンドリーニ・オーケストラ(SMO)での合奏」記録。翌年(1916年)の「オルケストラ・シンフォニカ・タケイ」に参画した記録が有るのみで、他雑誌の調査でも「関根文三」に関連した記述は見つかりません。

[※補足]

内田敏郎氏(内田寅夫氏の長兄)[※4]
牟田口氏(パレットクラブ幹事):マンドリン教師比留間賢八氏の門下生(田中常彦氏の先輩)[※4]
田中常彦氏の友人である妹尾幸陽(せのお こうよう 本名幸次郎:1891-1961)が、マンドリン奏者として田中をアドルフォ・サルコリに紹介[※4]
■大正2年(1913)の田中氏の卒業と共に第一期の部員も多くが卒業[※4]
■慶應の新旧学生により名付けた「東京マンドリン倶楽部」のもと、サルコリ氏と共に多くの一般の音楽会に出演[※4]

武井守成[1890年-1949年]・・・1910年に東京外国語学校に入学し、イタリア語を専攻。
1913年3月にイタリア政府から賞金を授与され、首席で卒業した。ギターを習い始めたのもこの頃である。
1915年9月田中常彦とマンドリン・アンサンブルを始め、ギターのパートを受け持つ。
田中常彦[1890年-1975年]・・・1908年 慶應義塾の予科に入学する。1910年に慶應義塾マンドリンクラブ(KMC)を創立する。
1912年5月 第1回大演奏会 横浜バンジョークラブとの合同演奏会でマンドリン独奏を披露。
小倉俊 [1901-1977] 早稲田大学〔1924年〕卒。大丸に就職する傍ら、ギター演奏の指導を開始。大正14年(1925):同社を退社し、愛知県の豊橋中学教師となり英語と経済学を教えた。
最初の「ギター独奏」は1930年4月、慶応マンドリンクラブでの演奏だった。


[※管理人の推測]
①関根文三氏の「生年」について
上記(ハ)の、1912年(明治45年)5月28日 師恩感謝音楽会メンバーより、田中常彦氏(1890年生)と同年齢か、田中氏の先輩である牟田口氏(????年)の年代。つまり『188?年-1890年生』だと推測します。

②関根文三氏の「ギター活動」について
上記(ニ)の、1916年9月から新たに小笠原牧四郎氏と関根文三氏とを迎え、前者はマンドラへ後者はギターへそれぞれ新しい力を加えることになりました。[オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ]活動より。
この、1916年以後の活動について、マンドリン関係者の情報を頂きたいものです。

③関根文三氏の「肖像写真」について
『関根文三』氏だろうと思われる「写真」を掲載します。[fig.1-fig.3]
※「管理人」の憶測。悪しからず。(ゴメンナサイ)

[fig.1]/[fig.2]
[*挿画出典元]:スペインの古い雑誌「Biblioteca Fortea Revista Musical」で掲載された「挿画」です。
[fig.1]では、
『El professor Syun Ogura (a la izquierda) con la señorita Emiko Komimura,cantora,el señor Sequine y la señora de Ogura』:小倉俊教授(左)と歌手の小見村恵美子[*漢字不明]さん、関根氏、小倉夫人と紹介されている。

[fig.2]では、
『El pianista don Javier Alfonso, en Tokio, con el profesor Ogura, el guitarrista señor Roca, la bailarina Manuela del Río y el señor Sequine』:東京における、ドン・ハビエル・アルフォンソ氏(ピアニスト)、小倉俊教師、ホアキン・ロカ氏(ギタリスト)、マヌエラ・デル・リオ(スペイン舞踊家)、関根氏。と紹介されています。
挿画2枚の年代は、1935年11月28日、30日、12月3日、5日、6日です。
小倉 俊氏は「34歳」です。
この写真の『señor Sequine 』が「関根文三』氏とするならば、関根氏(1890年生まれとして)は「45歳」でしょうか?

※この「Biblioteca Fortea Revista Musical」記事では「señor Sequine :関根氏」について苗字以外に一言も触れられていません。小倉俊氏との関係性も・・・。

[fig.3]
[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』/ P.11 右上 / 1992年3月30日初版発行
発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090
ここの『挿画』では「⑤川瀬晃と中野。」と紹介されています。
この『挿画』説明での「川瀬晃」については異論があります。と言いますのは、「川瀬晃」氏については、中野二郎氏本人が『『川瀬 晃 のこと』 中野二郎 / 1983年 [ ギター古典ノ薫り ]より』。

『~ 3 .の独奏者が明示されていないが彼の所蔵譜の中にHunten の珍しい初版譜があるから彼、川瀬(川瀬 晃)であろう。
同年同月22 日 [*管理人追記]、京都同志社大学マンドリンクラプに招へいされて同じ同じプログラムに新にペトレッティのロシア旋律の幻想曲が1つ加えられているが恐らく彼が弾いたものであろう。
この前後筆者も彼に招かれてその頃のJOBKで彼のギター伴奏でマンドリンを放送した覚えがある。[*管理人追記:JOBK(NHK大阪放送局)]
このあたり[*]から彼の消息は全く途絶えて了った。[*管理人追記:1927年10月22日の頃から]


つまり、中野二郎氏(1902年生)が25歳の頃から、「川瀬 晃」とは音信不通になっており、『『川瀬 晃 のこと』 中野二郎 / 1983年 [ ギター古典ノ薫り ]より』の1983年(中野二郎氏:81歳の頃)でも音沙汰は無かった。

[fig.3]の撮影された年代は不明ながら、中野二郎氏は50歳代~60歳代の年齢に見える。[1952年~1962年?]
故に、この写真の人物は「川瀬 晃」では無い。
※川瀬 晃も年齢不詳であるが、1890年前後の生まれではないかと推測します。

然らば、右の「川瀬晃」と思しき人物は何者であろうか?

ここで、上記『挿画:fig.1,fig.2』をご覧いただき「関根」氏と見比べて頂きたい。
関根氏と「同一人物」に思えませんか?

同一人物である。とするならば、小倉俊氏・中野二郎氏ともその当時、交流が有り、何らかの記録が記載されていても良いのではないかと考えます。

果たして、この『関根』なる人物は『関根文三』氏だろうか?・・・・・




[※1]:CIRCOLO MANDOLINISTICO FLORA/田中常彦・スクラップブック/1-3b■1912年(明治45年)5月28日(火)  上記師恩感謝音楽会パンフ・ウラ/プログラムと出演者
[※2]:小笠原牧四郎(まきしろう・1893~1925),子爵,大正7年(1918)東京外国語学校 馬来語科(マレー語)卒業。(『人事興信録 7版』)
トコトコ鳥蔵/維新の殿様/牧四郎の野望【勝山藩小笠原家編(福井県)㊲】
[※3]:[マンドリンギター及び其オーケストラ/*付録: オルケストラ・シンフォニカ・タケイ10年回顧/P.474]
[※4]:KMC百年史余話(前編)~毛虫達の青春(明治・大正編)

[*参照]:Robert Coldwell [ロバート・コールドウェル]が公開されています、「digitalguitararchive/journals/Japan/」より調査しておりますが、各雑誌全てがコレクションされているわけではなく、情報不足な点が多々あることもご承知おきください。



関根文三 [ Bunzo Sekine ]

小倉俊・小三村恵美子・関根文三(?)・小倉婦人
《fig.1》小倉俊教授(左)と歌手の小三村恵美子[*漢字不明]さん、関根氏、小倉夫人
[*挿画出典元]:digitalguitararchive/Journals/Spain/Biblioteca Fortea Junio,1936 Num.18/P.1

関根文三 [ Bunzo Sekine]
[ 18??年 - 19??年 ]


  • 1915年(大正4年)06月20日(日)14:00開演
    第3回 演奏会( 音楽普及会)
    会場:女子音楽学校 奏楽堂 [神田区錦町3丁目]
  • [第1部]
    1.マンドリン合奏   東京マンドリン倶楽部
    (イ)ラ・ソルレラ行進曲(マアチ)   クレロオ作
    (ロ)サンチャゴ・輪舞曲(ワルツ)   ユルビン作

    2.マンドリン合奏   東京マンドリン倶楽部
    歌劇「フヲイシュッツ(魔弾の射手)」抜粋    ウェェベル作

    3.ギター独奏   関根 文三
    (イ)露国民歌「モスコオ」   シェンク作
    (ロ)舞曲タランテラ   サルコリ作

    4.マンドリン合奏   東京マンドリン倶楽部
    森の音楽(フォーレスト・コンサアト)   アイレンベルヒ作
    月夜(エ・ムンライト・ナイト)   マツギィル作

    [第2部]
    5.マンドリン合奏   東京マンドリン倶楽部
    歌劇「トロヴァトオル」抜粋   ヴェルディ作

    6.マンドリン独奏    田中 常彦(マンドリン独奏)
    輪舞曲(ワルツ)「魔力」   シィコォン作
    小夜樂(セレネード)   シルヴェティ作

    7.男性独唱   外山 国彦
    (イ)船人   ワルラモッフ作
    (ロ)たゆとう小舟   ナイト作

    8.マンドラ独奏   間野 真太郎
    エストゥディアンティナ   サルコオリ作

    9.マンドリン合奏    東京マンドリン倶楽部
    可憐なる輪舞曲(ワルツ)    ?
    美なるアルゼンティン(タンゴ舞曲)   ロバアト作
    ちと辛すぎる(ワンステップ舞曲)   デエリイ作

    [*参照]:CIRCOLO MANDOLINISTICO FLORA/田中常彦・スクラップブック/2-6b■1915年(大正4年)6月20日(日)  同上第3回演奏会のパンフ(P2~P3)第一部・第二部プログラム/田中氏:マンドリン独奏2曲

armonia_guitarre-kammer-trio
《fig.2》1935年(昭和10年) 東京における、ドン・ハビエル・アルフォンソ氏(ピアニスト)、小倉俊教師、ホアキン・ロカ氏(ギタリスト)、マヌエラ・デル・リオ(スペイン舞踊家)、関根氏
[*挿画出典元]:digitalguitararchive/Biblioteca Fortea Junio,1936 Num.18/P.1

1915年(大正4年)07月03日(日)  大学(第4回) 大音楽会

[*参照]:慶應義塾マンドリンクラブ/KMC演奏会記録より


  • 1915年(大正4年)07月03日(日) 大学(第4回) 大音楽会
    会場:慶應義塾 大ホール
    指揮:田中 常彦、アドルフォ・サルコリ
  • [第1部]
    《合奏》東京・横浜・慶応マンドリン倶楽部
    歌劇「フラ・ディアヴォロ」より  オーベール

    [バリトン独唱]:ターム(バリトン)
    歌劇「トロヴァトーレ」より アリア  ヴェルディ

    [マンドリン独奏]  A.クリンゲン嬢(マンドリン独奏)、L.クリンゲン(ギター伴奏)
    幻想的セレナード「ネベル」  ビアンキ
    ナポリ・タランテラ  アドルフォ・サルコリ

    [テノール独唱]  アドルフォ・サルコリ(テノール)
    歌劇「フラ・ディアヴォロ」より  オーベール

    [ギター合奏]  アドルフォ・サルコリ、関根文三、L.クリンゲン、西川夫人、
    ベルタッツォーリ、イーストレイク、大口嬢、田中常彦


    夜警の巡査  アドルフォ・サルコリ
    ナポリ・タランテラ  アドルフォ・サルコリ

    [テノール・バリトン二重唱]  アドルフォ・サルコリ(テノール)、ターム(バリトン)
    歌劇「運命の力」より  ヴェルディ

    [第2部]
    [番外合奏]:東京・慶応マンドリン倶楽部・エストゥディアンティナ慶応/アドルフォ・サルコリ
    ティペラリーの歌(遥かなティぺラリー)
    ジャック・ジャッジ & ハリー・ウィリアムズ

    [合奏]:東京・横浜・慶応マンドリン倶楽部
    ロンバルディーアのセレナード  アルフィエリ
    海のささやき  サルヴェッティ

    [ピアノ独奏]:弘田夫人(ピアノ)
    ワルツ 第9番 変イ長調「告別」  ショパン
    第2マズルカ  ゴダール

    [バリトン独唱]:ターム(バリトン)
    歌劇「カルメン」より  ビゼー

    [マンドリン独奏]:アドルフォ・サルコリ(ギター伴奏)/ 田中 常彦(マンドリン独奏)
    スペイン奇想曲  ムニエル

    [合奏]:東京・横浜・慶応マンドリン倶楽部
    ナポリ民謡集

    [テノール独唱]:伊太利ナポリ民謡
    アドルフォ・サルコリ(テノール)

    オ・ソレ・ミオ(私の太陽)  ディ・カプア
    水売り  ラファエーレ・ヴィヴィアーニ
    フニクリ・フニクラ  デンツァ

中野二郎と関根文三
《fig.3》[左側] 中野二郎 , [右側] 川瀬 晃

[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090

[fig.3]挿画は 中野二郎氏と川瀬 晃氏なのか?

[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』/ P.11 右上 / 1992年3月30日初版発行
発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090
ここの『挿画』では「⑤川瀬晃と中野。」と紹介されています。

「川瀬 晃」氏の若かりし日の写真は、1925年(大正14年)5 月22 日『川瀬晃独奏会』名古屋で初めての独奏会にある。
1925年5月、中野二郎氏が23歳になる年で、川瀬晃氏は恐らく35歳近辺であろう。(中野二郎氏とは一回り程違っていたのではないか?)
生まれ年では、関根文三氏も川瀬晃氏も同年代だと考えます。
[※ 188?年-1890年生]

左記挿画 [fig.3]については、上記リンク先『川瀬 晃 のこと』 と、[fig.3]説明にも 同内容で記載しました。 中野二郎氏と「川瀬 晃」氏では無く、 中野二郎氏と『関根』氏である。と・・・





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