Itsukushima Perry

The history of the classical guitar scene in the Chugoku and Shikoku areas中国・四国エリアのクラシックギター界の歴史




西洋音楽普及を考える場合、地域を問わず「軍楽隊」の果たした役割が大きかったと言えるようです。

広島に於ての西洋音楽普及については、二つの要素が大きいのではないかと思われます。
①『呉海兵団軍楽隊』
②『教会母体のミッション・スクール、広島女学院・広島流川教会(戦前)とエリザベト音大(戦後)』



① 広島における西洋音楽普及に関しましては[*1]「呉海兵団軍楽隊が広島の音楽普及に果たした役割-先行研究の概観と今後の課題ー竹下可奈子」が発表されています。

『1890/M23年 ,広島県呉市に呉鎮守府が開庁され,それに 伴い 呉海兵団に軍楽隊が配置された。それ以前は寂寥とした一漁村であった呉市は,鎮守府開庁によ って急激に都市化,近代化が推し進められたが, その影響の中に呉海兵団軍楽隊によるものが多分にあったことは想像に難くない。

横須賀海兵団にて 高い水準の音楽 教育を受け ,呉海兵団に配置された軍楽 隊員は, 行事演奏や公開演奏会での演奏等を通して,呉市民や,広島県民全体へ西洋音楽の提供を行った。 それら呉海兵団軍楽隊による演奏活動の足跡を追うことは,広島の音楽史を明らかにする うえ で,非常に重要な 要素 であると言える。』
[*1]

『明治2年(1869年)薩摩藩軍楽伝習隊の吹奏楽を母体として、明治4年(1871年)に呉海兵団軍楽隊が発足され、配置されたのは明治23年(1890年)、同時に佐世保海兵団軍楽隊も配置された。』[*2]とあります。

『昭和初期、呉市民が結成した「ロンバルジヤ管弦楽団」、「呉海軍工廠ブラスバンド」の指導を呉海兵団軍楽隊は呉市民への音楽普及に貢献した。(呉市史編纂室編 1987,第5巻:678-679)。
大正25年(1914年)海軍軍楽隊唯一の管弦楽編成隊で中国、四国地方にも頻繁に派遣されていた。(針尾 2000:64)。』
[*3]

またこの文献には明治37年(1904年) の備考欄 に, 『呉市 において「最近ヴアヰオリン,風琴の教授所あり」との記述がある が, これは軍楽隊とは別の ルートか らの洋楽導入であると考えられる。
なぜならば,呉海兵団軍楽隊に管弦楽隊が配置されたのは 1925/T14 年のことであり ,それ以前には呉海兵団軍楽隊には弦楽器が存在していなかったからである。
呉には鎮守府開庁に ともなう 東京からの移住者が数多く存在し たため 彼らによるものか,もしくは広島市など,近隣の都市からの流入も考えられる。
いずれにせよ,単純に軍楽隊が呉市の洋楽導入を牽引 していたわけではない点は興味深い。
[*4]とあります。


②プロテスタント系の女学校として始まった「広島女学院」。
「広島女学院」:砂本貞吉により1887年(明治20年) に 開校された。
「廣島英和女學校」,「廣島女學校」,「広島女学院 (廣島女學院 」と 名称を変え, 現在に至る。
初期から音楽教科が含まれ、学内外での演奏会、管弦楽団も組織されて戦後まもなくより現在まで多彩な音楽活動が続いている。

同じ時期(1887年)に同上、砂本貞吉を中心に宣教師J.W.ランバスの協力を得て、『広島流川教会』を創設している。
『広島流川教会』では明治期導入の洋楽器での演奏会、「FK(現 NHK 広島放送局)演奏会」、音楽礼拝・「クリスマス音楽礼拝」を現在まで音楽活動に従事している。


[*挿画元/下記説明]:日本キリスト教団 広島流川協会WebSite/-被爆定礎板について-より
※ 日本基督教団合同(1941年)前の日本メソヂスト広島中央教会は、上流川町(現 中区鉄砲町)に
第三次会堂(ヴォーリス設計による500席を有する礼拝堂)が1927年竣工しました。



※プロテスタント系女学校ではないが,カトリック系のミッション・スクールとして広島の地で洋楽普及に大きな影響を与えてきた「エリザベト音楽大学」が果たした役割。
・・・続く・・・



[*転載]:[*1][*2][*3][*4]竹下可奈子:呉海兵団軍楽隊が広島の音楽普及に果たした役割―先行研究の概観と今後の課題ーongakusi-2.pdf,p.1-8
※竹下可奈子 たけした かなこ:[新見公立大学 健康保育学科 講師]、: 広島大学大学院教育学研究科博士課程後期所属 [d093167@hiroshima u.ac.jp]

[*参照]:光平有希:広島の洋楽普及におけるミッション・スクール 及び母体教会の役割―戦前の「広島女学院」と「広島流川教会」を中心として―P.9-15
※光平有希:[国際日本文化研究センター 総合情報発信室 助教]

※[*FK]:広島放送局(JOFK)・・・1928年(昭和3年)7月6日 - 社団法人日本放送協会広島放送局開局。ラジオ放送開始。(呼出符号:JOFK)



中国圏 年表

1934年??月??日 大橘済「岡山ギター協会」第1 回の発表会。
1935年11月中旬 マンドリンとギターの夕べ:中野二郎(マンドリン)/小越達也(ギター)  於 広島県立三原高等女学校 他1カ所。
1936年11月8日 細川 [*細川原三郎]マンドリンギター研究會 第七回演奏會 [後援] :マンドリナータ・ディ・クレ 於 医師会館(広島市)。
1936年11月17日 マンドリナータ・ディ・クレ第5回演奏会(指揮:坪島 憲) 三和銀行講堂。
1937年5月29日 広島プレクトラム・ソサエティ 第1回演奏会。
1939年8月26日 高知シンフォニック・マンドリンオーケストラ第6回 高等小学校講堂
ギター独奏:長野努 [指揮:寺田貞男・岩崎尚夫]
1939年10月14日 溝淵浩五郎 第8回土曜会 広島医師会館ホール。
1939年11月19日 高知ギター協会(長野 努) 第3回演奏会 板垣会館。
1941年(昭和16年)12月7日 太平洋戦争勃発
1945年(昭和20年)8月6日 広島市への原子爆弾投下
1945年(昭和20年) 9月2日 太平洋戦争終結
1947年2月15日 大橋左枝独奏会 岡山教育会館。
1948年5月13日 岡山ギター友の会演奏会 越智和夫(森川・石井・中江・根岸・難波) 旭東小学校。
1948年6月6日,30日 大橋左枝門下生発表会 倉敷市。
1948年7月11日 守山 緑(萩市)ギタルラ研究所第1回演奏会 萩市郷土館。
1948年10月23日 守山 緑(萩市)ギタルラ研究所第2回演奏会 萩市明倫公堂。
独奏:松浦康博・関屋昭夫/特別演奏:小原安正、その他
1948年10月25日 第2回小原安正ギター独奏会 於 下関市東洋高圧会社。
1949年4月??日 玖島隆明門下生 第1回発表会。
1950年8月19日 玖島隆明門下生 第2回発表会(広島流川教会)
1950年10月12日 玖島隆明門下生 第3回研究発表会(広島流川教会)
1951年??月??日 『広島ギター音楽協会』設立。
1951年4月1日 セヴィリアーナ・ギタークアルテット演奏会 広島的場教会。
1951年?月??日 守山 緑(萩市) 下関市長府・自由芸術学園ギター科講師となる。
1952年5月??日 玖島隆明一家 上京。
1954年5月2日 大橋ギターグループ研究発表会(岡山・アメリカ文化センター)
1955年9月??日 岩国ギター音楽同好会 第3回研究発表会(:主催 本田 彪)
大野喜雄・片田繁・中浜幹太郎・他多数 [岩国市商工会議所ホール]。
1955年10月8日 古川 昇 第1回音楽祭 ギター独奏(賛助 松田二郎) 山口県柳井市。
1955年11月20日 『広島ギター音楽協会』合同演奏会
向井基善・池田幸雄・楠原省司・佐々木哲男・浜村襄一 [広島平和記念館ホール]。
1955年11月20日 松田二郎独奏会/大橋ギターグループ合奏・大橋斉講演 於 日米文化センター(岡山)。
※当時(白井幸男[会社員]・松田二郎[学生]ジョイント・リサイタル):白井氏の不参(サラリーマンで勤務の都合)により
1956年5月13日 岩国ギター音楽同好会発表会(末永公雄・中浜幹太郎・岩井詳訓・大野喜雄・榊原省司(広島市・賛助出演) [岩国市商工会議所ホール]。
1956年10月28日 岩国ギター音楽同好会発表会[中浜幹太郎・岩井詳訓・大野喜雄]。
1957年10月7日 山口県音楽家演奏会 関屋昭夫(宇部市)。
1958年4月26日 ヘスス・ゴンサレス・モヒーノ公演(高松市)。
1958年4月30日 ヘスス・ゴンサレス・モヒーノ公演(呉市)。
1958年5月1日~4日 ヘスス・ゴンサレス・モヒーノ公演(広島市・岡山・四国)。
1958年10月4日 岩国ギター同好会演奏会(岩国市)。
1958年11月23日 第3回ギター演奏会 [佐々木哲男・楠原省司・浜村襄一] 平和記念舘。
1959年10月29日 楠原省司・濱村襄一・佐々木哲男各門下合同発表会 (広島)。
二重奏(佐伯、村上)ロ ンド O p 3 9 セレナーデより(カル)/ 田原実 ソナタ ・ブリランテop 9 6 の1 (ジュリアーニ)/
榎義彦 練習曲O p 3 5 の3 2 (カルカッシ)ロンド O p 7 1 ソナチネより(ジ ュリアーニ)/
岡野進(ジュリアーニ)ワルツホ短調(ソル)/ 原敏起 錬習曲Op 6 0 の1 6 (ソル)アラビア風狂想曲(タレガ)/
山中涼子 ワルツでタレガ〗雨滴(リンゼイ)/佐伯文男 メヌエットO p 2 5 ソナタより(ソル)舟唄O p 1 9 の6 (メンデルスゾーン、タレガ編)/
村上貞ロンド O p 2 2 ソナタより(ソル)トレモロ練習曲(カーノ)/江司晃一 ソナタo p 1 5 の2 (ソル)
三重奏(江司、佐伯、村上)三つのギターのための三諏奏曲o p 1 2 (グラニアー二)楠原省司
他に馬野薫二郎、板茄憲定、程吉常夫、石丸倍幸、中尾昭、沖本幸一、蔵下渡、後藤国男、岡野則義、世良進の諸氏出演。
1959年10月30日 アンドレス・セゴビア独奏会 広島市。
1959年11月11日 第4回ギター演奏会 [佐々木哲男・楠原省司・浜村襄一・安違右ー] / 二重奏:安違右ー・浜村襄一 / 二重奏:楠原省司・佐々木哲男。
1966年12月2日 アリリオ・ディアスギター演奏会(広島)主催:毎日新聞社 協賛:キングレコード。
1967年6月4日 広島ギターアカデミー設立
1968年11月27日 歌とギター(小原聖子とロスコンパネロス)柳井市労働会館。
1969年11月16日 四国ギターコンクール(第3回)主催:四国ギター協会 於 徳島市自治会館ホール 審査員:田村満・十亀信雄・松岡直樹・大磯和生。


《中国エリア》

戦前のギター音楽のようす


■1935年11月中旬 マンドリンとギターの夕べ

中野二郎(マンドリン)・[※]小越達也(ギター)  於 広島県立三原高等女学校 他1カ所
[※]小越達也:中野二郎氏の門弟]

[*参照]:digitalguitararchive/1936-53-54-Armonia/P.68



■1936年(昭和11年)9月 広島プレクトラム・ソサエティ創立
昭和12年5月29日、第1回演奏会を開いたが、第2回を開くべく準備中の由。
放送は童謡、歌謡曲の伴奏も加つて12回行った。
会員8名、中3名軍務応召中の由。
(小島克巳氏報)
[*転記]:digitalguitararchive/1939-76-Armonia/P.157



■1936年(昭和11年)11月8日 細川マンドリンギター研究会 第七回演奏会

◎細川マンドリンギター研究會 第七回演奏會を11月8日夜、(廣島市)医師会館に於て 細川原三郎氏後援会[主催]、マンドリナータ・ディ・クレ[後援]にて開いた。
[*参照]:1936年 マンドリンギター研究(12):13-12-Study-of-Mandolin-and-Guitar/P.10


ギター獨奏(細川原三郎氏)
●モツアルトの主題に依る変奏(作品九番)ソル
●梨の花 岡 誠一
●軒訪るる秋雨(作品11番) 武井守成
●秋雨  棚谷絃二
●秋雨の夜曲 細川原三郎

ギター獨奏(久村重人氏)
●石竹(作品125番)
●西班牙風小夜曲(作品63番)

ギター獨奏(沖川園美氏)
●タンゴ タルレガ
●ポルカ(作品35番) シュナイダー

ギター獨奏(満崎満蔵氏)
●ハバネラ(作品37番) カール・ヘンツエ
●ワルス カノ

ギター獨奏 (隠居要氏)
●ガロップ カルカッシ
●タンゴ第三(作品50番)

ギター獨奏 (高木義雄氏)
●雛菊 プラッテン
ハバネラ(作品9番)アルバ

ギター獨奏 (吉田義夫氏)
●夜曲 カール・ヘンツェ
●東洋風狂想曲

ギター2部(細川・秋田両氏)
ギター3部(細川・久村・沖川三氏)
ヴァイオリン・ギター(山崎、細川)
歌謡(河野しのぷ氏)
歌謡(田村其砂一氏)

マンドリン三部(松原、小原、井口三氏)
マンドリンオーケストラ(マンドリナータ・ディ・クレ)
指揮者:坪島憲、岡田贔両氏




広島市の巻 (1) 浜村襄一

~<前略>~
[2.] 愛好者、研究者についての過去と現状 (1956年時点)
戦前細川(?)と云う人が個人教授をせられ、、活発にやって居られたそうであるが原爆により他界された様に聞きます。
私の知人も一、二教った様ですが、詳しい事は不明です。
[*下に続く]

[*転記/*出典]:digitalguitararchive/1956-09-ギターの友/P.15

戦後のギター音楽のようす



1947年頃。戦後、広島ギター界草分けの人々。
左2人目:玖島隆明(1926-1990)、中央:本間猛郎。

[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090



広島市の巻 (2) 浜村襄一

~<*上述>~
私がギターの勉強を始めた頃は、(昭和23年[*1948年]頃だったと思いますが)ちゃんとした教授所もなく、カルカッシ教本に仕方なくすがりついているという状態でした。
24年[*1949年]の7月頃と記憶して居ますが、たまたまギター音楽教授所とある看板を見てそこでレッスンを受ける気になりました。
教授所で初めてガットギターを見、ガット絃を知る事が出来、ガットギターを無理して譲っていただいたのを記憶しております。

その教授所を主宰して居られたのが、現在東京で活躍しておられ、私が今も師事している玖島先生(玖島隆明)でした。
私が入門した時は教授所を開いてから間もない状態でしたが、24年頃には教授所も充実し、同年の四月だと記憶して居ますが、第一回の門下生発表会を行い、以後先生を中心に春秋2回演奏会、研究発表会を行い、FK(JOFK:広島中央放送局)からも放送し、又先生の尽力により広島ギター音楽協会も設立され、広島のギター界も漸やく活発になって来た感がありました。

これから益々発展と云う時、確か27年(*1952年)5月ごろと記憶しますが、先生の東京移転と云う事になり、行きづまった感がありました。
<*下記に続く>

[*転記/*出典]:digitalguitararchive/1956-09-ギターの友/P.15



1949年,1950年頃 広島流川協会にて


前列左:玖島隆明、中:浜村襄一、右:佐々木哲男。

[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090



広島市の巻 (3) 浜村襄一

~<*上述>~
何分指導者の居なくなった後は、如何とも出来ませんでした。

然し最近奮起し、井口氏(戦前より長くギターを研究せられ、ガット弦も製造しておられた)を中心に、同門の太田池田(池田幸雄)佐々木(佐々木哲男)の各氏に、教授をして生徒を育成しておられる楠原氏(楠原省司)とそれに向井(向井基善)氏を加え昨年11月演奏会を開き、かなり盛会だったように思います。

4.将来への抱負
これと云った大きな抱負はありませんが岩国市で本田(本田 彪)氏を中心に相当活発に動いて居られるので、互に交流して研究し、又放送の方面で進出し、ギター音楽を盛んにすると共に、ギターのレベルを向上させたいと思っています。
室内楽で何かやってみたいとも思っております。
~<後略>~。

[*転記/*出典]:digitalguitararchive/1956-09-ギターの友/P.15



1955年11月20日『広島ギター音楽協会 合同演奏会』:広島平和記念館ホール

  • 向井基善:ターレガ参加(D.フォルテア/悲歌()/ブーレー(バッハ)ターレガ)
  • 池田幸男:メヌエット風練習曲(ターレガ)/スケルツオ(作品10)レニアーニ
  • 楠原省司:ラグリマ(ターレガ)/アデリータ(ターレガ)/アラビア風狂想曲(タレガ)
  • 佐々木哲男:魔笛の主題による変奏(ソル)/スペインセレナーデ(マラッツ)
  • 浜村襄一:メヌエット 11の5~8(ソル)/ソナタクラシカ(ポンセ)
  • 二重奏/四重奏/ギター伴奏による歌曲等。

※[*転載]:digitalguitararchive/1956-05-ギターの友/P.27



1959年11月11日『第4回ギター演奏会』:広島
  • 佐々木哲男:二つのメヌエット(ソル)/マリエタ(タレガ)/ムーア風舞曲(タレガ)/アルアンブラの想出(タレガ)
  • 楠原省司:スペインセレナーデ(マラッツ)/アストリアス(アルベニス)/スペイン舞曲第5番(グラナドス)
  • 二重奏-安達・浜村:セレナータモリスカ(チャビ)
  • 二重奏-楠原・佐々木:慰楽曲Op.34(ソル)
  • 浜村襄一:アレグレット(トロバ)/エチュードOp.6の12(ソル)/ソナタOp.15の2(ソル)
  • 安達右一:ジーグ(バイス)/プレリュードとアルマンド(J.S.バッハ)/二つのプレリュード(ロボス)

※[*転載]:digitalguitararchive/1959-49-ギターの友/P.14



1948年当時の『ギタリスト名簿』
:越智和夫(宇和島市)・長野努(高知市)・大橋左枝(岡山市)

[*転記]:digitalguitararchive/1948-02-No.2/1948-05-No.3



1957年当時の『ギタリスト名簿』
:森本寿恵春(鳥取市)・浜村襄一(広島市)・佐々木哲男(広島市)・楠原省司(広島市)・大野喜雄(大竹市)・古川 昇(柳井市)・関谷昭夫(萩市)・関 勉(高知市)・長野努(高知市)・大磯和生(徳島市)・大橋左枝(岡山市)

[*転記]:digitalguitararchive/1948-02-No.2/1948-05-No.3



1960年当時の『ギタリスト名簿』
:大橋 左枝(岡山市)・森本寿恵春(鳥取市)・桑原和義(米子市)・安達右一(広島市)・浜村襄一(広島市)・佐々木哲男(広島市)・楠原省司(広島市)・大野喜雄(大竹市)・古川 昇(柳井市)・関谷昭夫(萩市)・関 勉(高知市)・長野努(高知市)・大磯和生(徳島市)

[*転記]:digitalguitararchive/1948-02-No.2/1948-05-No.3





第1回ギターコンクール  全出場者は21名(うち中国エリアより7名が出場している。)

小山利男(岡山県玉野市)  昭和5年2月6日(男)
亀井孝志(岡山県津山市)  大正14年3月18日(男)
亀井和夫(岡山県津山市)  大正11年3月24日(男)
渡 康雄(岡山県津山市)  大正11年10月16日(男)
大橋左枝(岡山市)  大正4年3月3日(女)
難波茂登治(岡山県御津郡)  昭和6年3月15日(男)
出射 孝(広島県呉市)  大正11年1月5日(男)

[*参照]:digitalguitararchive/1949-04-No.6-ギタルラ/P.17-19




GUITAR


このページでの紹介人物 : 玖島隆明 浜村襄一 佐々木哲男  関 勉 安達右一 小松素臣 ホセ・イグナチオ・テホン 長野文憲



►1967年  広島ギターアカデミー設立◄


東京ギターアカデミーにつづき広島にも下記の如く設立されることになった。
正しいギターの在り方を公に知らせねばならない現在の日本に於て誠に喜ばしいことである。

  • 和声及音楽史  テホン神父(スペイン人エリザベート音大作曲科主任教授)[*1]
  • ソルフェージュ   三並惇子(エリザベート音大助教授)
  • アナリーゼ   井上守(ヤマハ音楽教室指導講師)
  • テキスト 和声    小船幸次郎著ギター和声学
  • ソルフェージュ    国立音大出版 高等ソルフェージュ
  • アナリーゼ    ソル,カルカッシ,アグアード,コストのエチュード,ポンセのプレリュード,ヴィラ・ロボスのエチュード,その他

6 月4 日開校
毎月第一,第三日旺 午後2 時~ 6 時
入学金500 円,月謝1,000 円
場所:広島市基町第一生命ビル5 階
ヤマハ音楽教室内

[責任者] : 檀上宣順・楠原省二・岩井祥訓・北林康彦・浜村襄一

広島及その近地に居られる方々には是非入校をおすすめする。
[*転記]:digitalguitararchive/05-ギター日本/P.35 [1967年]


[*1]:テホン神父(エリザベート音大 作曲科 主任教授)

[※]1977年 :『エリザベト音楽大学』:日本で初めてギター科が創立された



1976年12月5日  広島ギター協会合同発表会 於 県社会福祉会館



1976年12月5日
前列左より:


[*挿画出典元]:『広島ギター協会』Web Siteより「協会の歩み」より


1977年6月15日  第1回合同演奏会(平和記念館)




1977年6月15日
前列左より:


1977年
◇6月15日(水) 第1回合同演奏会(平和記念館)
1977年第1回合同演奏会

主催;広島ギター協会
後援;広島市教育委員会/RCC中国放送/中国新聞社
1977年6月15日(水) 平和記念館 PM6:30

           1部
1.三つのイギリス民謡 J.W.デュアルテ   長野文憲
2.ラルゴファンタジア F.ソル        笘原孝弘
  二つのメヌエット  J.P.ラモー
3.プレリュード    F.ターレガ      浜村雄一
  タンゴ       F.ターレガ
4.四つの小品     H.パーセル      西本 嗣
5.ブーレとドーブル  J.S.バッハ     石井  健五
6.アメリアの遺言   スペイン民謡      松田 敏彦
  静かなる窓辺    アブロニス編
         粉ひきの踊り    M.ファリャ
7.無言詩       M.武井        すめらぎ せいや
  ロジータ      F.ターレガ 
8.組曲 OP.126 No2 S.シュナイダー
   [第1ギター 楠原省司・第2ギター 蓮池 力・第3ギター 浜村雄二・第4ギター 島田武夫]
(1)Feierklange
(2)Sarabande
(3)Vorspiel
(4)Andante 
(5)Fughetta

            2部
9.雨ニ題 軒訪ずるる秋雨 M.武井
        雨の庭      T.永田      坂田俊之
10.木陰にて          I.橋本      橋本勇夫
11.ショーロ          J.ペルナンプコ  藤川孝男
12.プレリュードNo.3    H.ビラ-ロボス」 壇上宣順
   サラバンド         F.プーランク
13.慰安OP.34        F.ソル       第1ギター 橋本勇夫・第2ギター
(1)Cantabile (2)Thema-Andantino (3)Valse
 

             会長あいさつ
本日はお忙しい中、多数ご来場くださいまして誠にありがとうございます。
このたび、私達広島ギター協会の第1回合同演奏会が会員の方々の尽力により開催されるはこびになりました。
何分にも1回目の演奏会ですので、いろいろと不行き届きの面も多々あるかと思いますが。私達の熱演をどうぞ最後までお聴きください。
なお、これからも会員同士力を合わせて、一層充実した楽しい演奏会を催していくよう努力するつもりです。
おわりに、本日の演奏会を開催するにあたり、ご支援、ご協力を賜わりました関係各位の皆様に対し厚く御礼申し上げます。
                                 楠原省司

[*挿画出典元]:『広島ギター協会』Web Siteより「協会の歩み」より




《四国エリア》

土佐の音楽界昔話(上) 古城九州男
大正13年8月、当時県庁前で、現市役所のある所にあった高知病院の耳鼻科長として私は赴任した。
交響楽は昭和六年秋、浜田善三郎氏を指揮者として市商音楽部出身の橋本、水田、岩谷の諸氏から勧められて私が楽団を組織し、翌七年NHK高知放送局開局記念放送したのが初めてである。

マンドリンオーケストラは、大正12年旧制高知高校創立の翌13年、市村君兄弟が主唱して始まった。


土佐の音楽界昔話(下) 古城九州男
大正中期に東京で某新聞社が新人音楽会と称し、各音楽学校の新卒業生による音楽会を催していたが、これを模して土陽新聞社が、高知、土佐、高坂の旧制高等女学校の新卒業生による音楽会を催したことがあると聞いたことがあるが、詳細は不明である。

ギターは、長野努氏が昭和6年(1931年)に早稲田を卒業後[*2]に帰高してギター協会をつくり、ギターの宣伝に努め、昭和十一年四月高知新聞社で第一回独奏会を開き、続いて高野寺会館で何回か開いた。

[*転記]:高知交響楽団/高知交響楽団の沿革/古城九州男先生の高知新聞への寄稿文より https://www.koukyou.info/

[*2]:長野 努 : 早稲田大学マンドリン楽部(WMG)

四国圏 年表

  • 1924年??月??日  ??マンドリンオーケストラ設立(市村兄弟)
  • 1931年??月??日  交響楽団(指揮者:浜田善三郎)古城九州男(楽団を組織)
  • 1931年??月??日  高知ギター協会設立(長野 努)
  • 1936年4月??日  長野 努第1回独奏会 高知新聞社
  • 1947年4月??日  越智和夫独奏 宇和島放送局
  • 1947年4月??日  越智和夫演奏会(ヴァイオリン×3・チェロ×1・ギター×1)
  • 1947年4月??日  第5回高知ギター協会発表会(長野 努) 放送
  • 1948年6月5日  越智和夫第1回発表会 宇和島市
  • 1948年11月28日  高知ギター協会発表会(山本彰芳・窪内宥・西山保・上田和夫・田村満・長野努・その他)高知新制高校講堂
  • 1956年6月17日  高知市民音楽会 関 勉・長野努
  • 1969年11月16日  四国ギターコンクール(第3回)主催:四国ギター協会 於 徳島市自治会館ホール 審査員:田村満・十亀信雄・松岡直樹・大磯和生。





玖島隆明
玖島隆明

玖島隆明 [Takaaki Kushima]

[1926年-1990年] 64歳没

  • 1926年(大正15年)1月30日生(広島市)

  • 中央大学経済学部卒
    玖島ギター室内合奏団主催
    ギターの友新人音楽賞選考委員
  • 1950年8月19日 玖島隆明門下生第2回発表会(広島流川協会)
  • 1952年 セゴビアーナ・デ・ギターラ発足(亀井孝志・玖島隆明・小原二郎・京本輔矩・奥田紘正・北澤俊明)
  • 1952年 『ギターの友』出版開始 (主幹:玖島隆明)出版年:1952年-1963年
  • 1954年(昭和29年)10月10日 玖島ギター教授所[東京] 第1回発表演奏会 於アメリカ文化センター
  • 1955年 セゴビアーナ・デ・ギターラ第5回演奏会
  • 1960年5月23日 玖島隆明とその高弟によるギター演奏会
    浜村襄一・高木孝・大西博愛・ギター室内合奏

  • 著書:「クラシックギター教本」他がある。

玖島隆明
玖島隆明

玖島隆明 [Takaaki Kushima]

『ギター合奏と私』玖島隆明/digitalguitararchive/1959-41-ギターの友/P.10-11

『私がギターの合奏に興味を持つようになったのは、たしか昭和22年[*1947年]であるから、その頃から数えると丁度12支を一廻りしたことになる。
始めは、現在も尚活躍しておられる酒井富士夫氏のアンダルジア四重奏団への関心から、中南米音楽と古典合奏に手をつけいろいろと廻り<どいアレンヂをすることが、この方面でのギター合奏の在り方であるような気がして、24年頃[*1949年]まで多分に興味本位な合奏にうつつを抜かしていたように思う。
この頃のギター合奏の構成のやり方は、三人又は四人 ・・・・これはギター合奏の上手なメンバーが揃うかどうかによっ て決まる・・・・のものが、主旋律とリズムと低音、四人の場合は適当に副旋律を加える、という具合に、技術によって持場をきめ、或はそれを取りまぜるというやり方で編成していた。
この方法は、現在も尚ギター合奏の殆んどのスタイルに見られるもので、一般では、軽音楽バンドに通例の編成である。
バイオリンやクラリネッ ト等でバンドが組成されるのに代えて、それをギターでやっていたのに過ぎない。
オーケストラのような音色の変化を持ちたいがために、ギターの特殊な奏法の応用や、タッチの変化を、かなり重要な問題として考えていたが、所詮同じギターでしかない音色の変化は、三人、四人で重なり合った合奏には殆んど何の効果もないものと知るようになった。
加えて三オクタープ内外の狭い音城にひしめき合うことから生じる没個性のつらさは、ソロでなら自由に唄うギターの妙味をそぐばかりでなく、出来上った合奏そのものの混乱を招くばかりで(勢い幼稚な構成にならざるを得ないことになる)、それを面白いと思うのは奏いている当事者たちだけで結局は自慰的なものにすぎないのだと思うようになった。

25年[*1950年]の広島時代の課題は、どうすれば各パートの独自性が維持出来るようになれるか?という問題であった。
ここで眼を向けたのが室内楽の在り方であ った。
室内楽、特に絃楽合奏の在り方は各パートの個性的な活かし方と、合奏の醐醍味を知るに好ましい方法であることはいうまでもない。
そういう室内合奏の妙味が、何とかアレンヂによってギター合奏に採り入れられないだろうか?そんな所から徐々に室内楽としてのギター合奏へ入って行ったわけである。

26年[*1951年]に広島で一、二回発表の折を得たが、決定的な結論が得られないまま27年[*1952年]一家をあげて上京し、メンバーを集められないまま2年余りギター合奏に触れる機会も得られなかった。

出版の仕事・・・・それは以前のものの焼き直し程度のものに過ぎなかったが・・・・の関係と、発表する必要に迫られて、再び時たま合奏をやり、又他人様のものも聞くようになって、昔の虫も起きてきたが、本格的なギター合奏・・・・ 室内楽としてのギター合奏を何とか決定ずけられないものかと思うようになった。


この頃(29年頃)は、アレンヂにより、三重奏までは可能であるという確信を持っていたが、四重奏以上のギター合奏は無意味であると思えるようになって来た。
取捨選択についての態度を決められるようになることは、非常に難かしいが重要なものである。

25年頃既に考えていたギターの音城の拡大が最近漸く可能になり、一応使用に耐えうる楽器が出来たことによって、ギター合奏の新しいシステムヘの切換えを漸やくふみ 出すことが出来るようになった。
小型ギターと新しい高音絃使用に「よって、五度高い調絃が可能になり低音絃のエ夫により、従来のギターも得られた。
私が考えたのほ、従来のギターの能力や魅力をそこなわないで音域を広げるということであるが、一応満足してよいように思う。
もっとも、これに似たギター合奏は、外国には古くから既存していたようで、デュリアニガ、テルツギター(三度高い調絃の小型ギター)プリムギター(現在一般に使用されているギター)・クィント・バスギター(五度低い調律の大型ギター)の三重奏を書いているし、現在もドイツではこの形の合奏が行なわれているらしい。

このバスギターについて多くは知らないが、譜面から察せられる所では、楽器の能力が低いのはないかと思う。
私のバスギターの考案は、絃楽四重奏のチェロの如く有能なバスギターをという目標でなされたので、大型になることを避けることに重点を置いた。
それに、ギターの調絃はただでさへ低いので、勢い高い方へ音域の拡大を図ることになった。
ガット絃は切れやすいので、ガット使用時代にはテルツ位しか考えられなかったであろうが、ナイロンの使用は、オクタープ高い調律さへも能にしてくれる。

高音ギターは、なるぺく小型にならないようにしないと、奏きにくくなるので楽器の能力は半減してしまう。
こうして、絃と、こういう二、三種類の楽器の組合せが、ギター合奏の音城と音色との拡充に役立つことになったのである。

今春の演奏会で私達が行うこの体系の室内合奏は、とうてい試演の城を出るものとは思われないが、私としては、ギター合奏の前途に明るいものを感じて良いのではないがと思っている。

終りに、ここまで漕ぎつけられたのは、私のこの研究に助力して下さったギター製作家河野賢氏、並びにギター絃製作に当って頂いた後藤正夫氏、及び室内合奏団員と私の門下生諸氏の労に負う所多かったものであることを附記して、感謝の意を表するものである。』

digitalguitararchive/1959-41-ギターの友/P.10-11

浜村襄一
浜村襄一

浜村襄一 [Jooichi Hamamura]

  • 19??年 広島市生まれ。
  • 玖島隆明門下
  • 1960年5月23日(東京) 玖島隆明とその高弟によるギター演奏会。
    浜村襄一・高木孝大西博愛玖島ギター室内合奏団・玖島隆明


  • 『関西ギターグループを聞いて』 浜村襄一
    大阪での会が何時もこうなのかどうか知りませんが、客種が悪い様です。
    演奏中に入場して椅子をバタンといわせたり、中には一人タバコを喫んで居た人がいました。
    演奏について気づいた点では、左右の指、手首の位置が悪い様です。
    あのままでは、いくら練習しても、スケールはうまく奏ける様にはならないでしょう。
    多くの場合左手に欠点があります。
    中川氏はそうでもありませんでしたが、多くの人が右手をうんとブリッヂに近づけて弾いて居ました。
    フレーズということに関しては、あまり考えて弾く人はなかった様に思います。
    中川氏のビリャーロボスのプレリュードと大西氏のソルのグランドソナタ(作品22番)はその点よかったのではないかと思います。
    ただし、大西氏の演奏は音が小さくて聞き取れない所がありましたが。
    京本氏は、以前にソナタ・クラシカを聞いた時にはよたよたして、頼りなかった様に覚えていますが、当夜はいい演奏だったと思います。
    他の人より安定感があり、楽に聞くことが出来ました。少しりきみすぎた感のあるものもあったと思われますが… ただ、カステルヌォボーテデスコのタランテラの中程、アレグラメントだったと思いますが、和音で動く所を、和音を切って弾いて居られましたが、和音をひびかせて柔く弾いた方がよいのではないかと思います。
    あれこれ、取り止めのない事を思いつくままに書きました。
    (以上は浜村君から玖島宛の私信から抜いもたのです)

    ※1955年10月22日『開西ギターグルーブ第二回演奏会』評 / digitalguitararchive/1955-04-ギターの友/P.9より

佐々木哲男
佐々木哲男

佐々木哲男[Tetsuo Sasaki]

  • 19??年 広島市生まれ。
  • 玖島隆明門下
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小松素臣

小松素臣 [Motoomi Komatsu]

  • 19??年 広島市生まれ。
  • 酒井富士夫門下
  • 呉泰次郎に理論を学ぶ。
  • フジテレビ・ミュージックフェアやNTVドラマの音楽担当、NHKの音楽録音など、各種テレビの音楽関係の仕事に携わる。
  • 1970年頃より、裏方の仕事から編曲家として表舞台に立ち始め、その後、演奏家としても注目され始めた。
    尾田宣秋とのコンビで、日本コロムビアよりギターデュオとして『クラシック名曲選』、6枚シリーズで『ギターデュエット・クラシック名曲集』等のレコードを収録、リリースしたが、2010年現在復刻版は出ていない(後述の対談レコードは復刻版あり)。
  • 活動拠点は主に地元広島で、広島市の自宅では小松ギター教室を主宰、クラシックギターの指導にあたり、プロの養成に努力するかたわら、クラシックギター教則本、クラシックギター名曲集等の著作を出版。
    その中でも教則本『今日の今からすぐ弾ける』は、その解りやすい解説で人気が高く、現在でも重版を重ね、ギター初心者のバイブル的存在となっている。
  • 2006年夏、高齢のため、長く営んできたギター教室を閉じ、2010年現在は隠居している。
  • 京都好き、著書に「私の京都」がある他、京都大徳寺大仙院住職・尾関宗園との対談レコード収録にあたって聞き手に選ばれている。
  • [著作]
    古典ギター名選集(1967年、協楽社)
    私の京都 愛する京へのひとり旅(1977年、共同音楽出版社)
    今日の今からすぐ弾ける 楽譜が読めなくてもOK!ギター初歩の初歩(1981年、中央アート出版)
    出来る出来る!!何でも出来る!!(京都大徳寺大仙院住職・尾関宗園との対談レコード、日本コロムビア、1978年)

    [出典]: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関 勉
関 勉

関 勉 [Tsutomu Seki]

  • 1930年高知市生まれ。
  • 1948年12月 18歳 本田彗星、マックガン彗星の影響でホウキ星に興味を持つ。
  • 1949年10月 18歳 家業(製紙工場)の手伝いに従事。
  • 1955年4月    24歳 関ギター教室を開設。
  • 1961年10月 30歳 関彗星発見。
  • 1964年    33歳 ギターの門下生だった深田興子(22歳)と結婚。ギター二重奏やソロ活動を行う。
関 勉
1966年6月:二重奏を演奏する[関 勉氏・奥様]

[*出典 ]:コメットハンター関勉のホームページ/関勉プロフィールより抜粋



安達右一
1959年頃 安達右一

安達右一 [Yuichi Adachi]

[ 19??年~没年不明 ]
ギタリスト・評論家。仙台市

  • 1954年5月23日 アニドの公開レッスンを受講する。[安達右一・阿部慶司(仙台):アルモニアから派遣]於 写真文化協会(四谷)
  • 1958年8月2日 三井建設(株)広島支店に転勤 [*1]
  • 1959年5月28日 アンドレス・セゴビア 広島リサイタルの翌日(場所:New Hiroshima Hotel)
    『マエストロセゴビアとの対談』:アルモニア誌に寄稿した。

    [~前略~]
    [安達右一]: いろいろお邪魔して了いましたが最後に日本にも若い熱心なギタリストがふえてこれからもシエナ等に勉強に出かけたい希望者が数多く居るのですがそれらの人の為に何か一言こ・注意の言菓でもお聞きしたいのですが。
    [セゴビア] :遠い処を高い費用を使って来るのだからレッスンを有効に直ぐ受けられる準備が必要だ、ハ長調のスケール位は正しく弾けなければいけない。
    生憎く時問が来て了った、これから荷造りをしなければならない。
    3日東京で又会おう、マダム高橋にもそしてアフリカのドクター高橋にもよろしく(Adios)
    ***********************************
    [お詑びJ
    5月3日大阪フェスティパルのセゴビア第一夜の後で有志で簡単なお茶の会を致し度くお誘い申上げました処、予想以上にお参集になった為会湯が超満貝となり、お話も出来ずに散会の己むなきに致り発起人として誠に申訳なく紙上より序くお詑び申上ます。
    同夜はあのあと席を変えまして桜橋の歌月で16 人程でお話しを致しました。
    お世話頂きました縄田政次氏、斎藤博道氏に厚く御礼申上ます。

    [*転記]:digitalguitararchive/1959-06-03-Armonia/P.25-26
安達右一
安達右一

[*転記]:digitalguitararchive/1958-05-06-Armonia/P.31
~[前略]~
[*1958年]広島にきて丁度4カ月になりますが時々送って頂く演奏会のプロで東京の模様がよく分ります。矢張り東京はギタ一人口も多く、研究生には刺激もあり好ましい処であることが離れてみるとよく分ります。どんな写真より或いは印刷物より、皆が求めているのは生の音だと云うことです。

11 月23 日当地平和記念舘でギター三人の会と云うのが催されました。 浜村、佐々木、楠原の三氏による演奏会で、サンスのパパーナ、ソルの幻想曲、主題と変奏、タルレガのアラビア風狂想曲、ラモーのメヌエット、ソルの二人の方と云った処が主な曲目でしたが非常に盛会でした。
西日本を通じて記録に残していい演奏会と思いますが、私にとってはこの三氏にまだまだいろいろ注文がつけたい処があります。
小生も皆におだてられてこの三氏と玖島隆明編曲になるソルの15番を四重奏しました。 これは当地のFK からローカルで放送されましたが、NHK が大いにギター音楽に興味を持って呉れてこれからも機会がありそうです。
東京を離れると急に孤独になった様な気がして、却って海外雑誌やカタログを熱心に見ることは+になるかも何れません。 ただ最近はLP も新しいものは出てなく中だるみなので目新しい御報告がないのが残念です。~[後略]~

[*著書]:ギターの歩み 戦後編 安達右一 現代ギター社/刊行年1989年

[*1]:1958-05-06-Armonia/叔父の高橋功の投稿より

ホセ・イグナチオ・テホン学長
ホセ・イグナチオ・テホン学長

ホセ・イグナチオ・テホン [Jose IgnacioTejon]

1970年~1986年までエリザベト音楽大学の学長を勤められた。
パレストリーナ研究の第一人者
パレストリーナ様式による対位法、を著わされました。日本における

[*著書]:『パレストリーナ様式による対位法』/ホセ・イグナチオ テホン (著), Jose Ignacio Tejon (原名) 単行本 –音楽之友社 1971/8/1

[挿画]パレストリーナ 生誕500年―ホセ・イグナチオ・テホン先生を讃えて―パンフレットより

[*パレストリーナ様式]:順次進行を主体とした滑らかな旋律の流れ,豊かな和音の連続による完璧な和声,厳格な対位法による書法,安定感に満ちた楽曲構成,曲全体の均整美はルネサンス音楽様式の極致とも呼ぶべきもので,パレストリーナ様式として一般に知られている。約850曲に達する作品の大部分は宗教曲で,ミサ曲104曲をはじめ,モテット375曲,その他の典礼曲約175曲のほか,マドリガル約140曲も知られている。… ※[*出典]:「パレストリーナ様式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)・・・「コトバンク」より

長野文憲
長野文憲

長野文憲 [Bunken Nagano]

1947年~2017年8月7日:長崎県

長野文憲 [Bunken Nagano]

  • 1974年マスタークラスでオスカー・ギリアの教えを受けプロの道へ。
  • 1977年エリザベト音楽大学にクラシックギターコースが新設されたのを機に同大学入学。 卒業後タンゴやフォルクローレ等新しいジャンルも含む独自の世界を追求し続ける。
  • 1994年ニューヨーク・カーネギーホール出演。
  • 1996年出演記念のCD『ラ・クンパルシータ』をリリース。同名の編曲集を現代ギター社より出版。
  • 1996年女優吉永小百合の原爆詩朗読と共演(NHK-TV放送)
  • 2003年韓国大邱MBC開局40周年記念ラジオ番組出演、大邱で演奏。ソウル共同通信の取材を受ける。
  • 2006年「いけばなインターナショナル世界大会」で演奏、名誉総裁高円宮妃殿下よりお言葉を賜る。
  • 2007年ニューヨーク国連本部に招かれ演奏(日本テレビ他放送)。
    同年日本コロムビアよりギターソロ編『A Thousand Winds/千の風になって』をリリース。
  • 2017年春『永遠のギターアルバム6/長野文憲編』を出版予定。
  • 2017年8月番組開始40周年記念「NHK名曲アルバムコンサート」出演予定。
  • 40余年に渡る地道な演奏活動から紡がれるその品位ある豊かな音色は「人々の心を和まし真実の響き」との評を得「六弦の魔術師」の異名を持ち、CDはNHK「ラジオ深夜便」等で放送されている。
    また長年指導にも力を入れ、徳武正和、山田岳、大坪純平などプロギタリストも育っている。
『現代ギター』演奏者・講師プロフィールより

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