The first foreigner to work as a guitar teacher and performer was Adolfo Sarcoli, who came to Japan in 1911.
『あとがき』
かつて昭和51年(1978年)に現代ギターの別冊付録で「絵でたどるギター音楽の歩み」が出された時、編者の濱田二郎氏が日本ギター界に先駆の灯を掲げた人の代表として武井守成氏のみを取り上げて「いずれ(日本のギター史)が別冊付録となることを期しながら」との呼掛けがあった。
今回現代ギターの25周年を記念して企画された本書は河野賢氏の発想であったが、観衆の一班を依頼された私としては、どうしても先の濱田氏の15年前の呼掛けを意識せざるを得なかった。
今この写真史を世に送り出すに当たって、この呼掛けにやっと応え得たという気持ちと同時に、これでよいのかと言う危惧の念が湧いてくるのを覚える。資料収集に当たって繊細で写真を焼いてしまった人、それ以上に戦争で亡くなった人さえいる現実に直面しながら、史実の脈絡すら解明されていない時代を模索していく内、この写真集野になって居る過酷な使命を感じて針のむしろに座する思いであった。
それと努めて未公開の写真をと思う余り、限られた紙面に縛られて大事な記録写真でも見慣れた写真は省略させてもらったので、記録性に欠ける点が出てきてしまっているのが気懸りの一つにある。
その他あれこれ批判もあろうと思うけれども、本書を踏台としてより良いパート2への実現性が見いだせればこれに勝る幸せはない。
止まれ今回貴重な手元の写真をご提供いただいた多数の方々に、深甚の謝意を表すると共に、いろいろ情報をくださった方々にも心からお礼を申し上げたい。
特に中野二郎先生には我国ギターの歩みの初期の頃で「サルコリ」はセゴビアの影に隠れて忘れられているが、本邦のギター発展史上にはむしろ比留間氏より大きい影響を与えているとのご指摘を頂き補筆したことを申し添えたい。
[安達右一]
[*転記]『写真で見る日本ギター史』 単行本 / P.105 発行: 現代ギター社【GG番号】GG090の「あとがき」より
アドルフォ・サルコリ (1867-1936)

[挿画出典]:茨城大学教育実践研究40(2021),37-50/サルコリの音楽家教育思想に関する研究/
- 丸山徳子から、三浦環、鶴田昭則、丸山洋子への流れを手掛かりに、フレーベルの「父性」に関する考え方を射程に入れて-
(マンドリンを弾くサルコリ:丸山洋子氏提供)P.40挿画

伊太利オペラ「カバレリヤ」を上演するサルコリ
[挿画出典]:[PDF] 茨城大学教育実践研究 39(2020),69-76
[*補足3]:管理人
- 1911年:サルコリ来日
- 1912年(明治45年)5月28日 師恩感謝音楽会(慶応マンドリン・ギター・バンド)共立女子職業学校講堂
浅井・服部・伊藤・関根・佐本・仙石・内田・田中・牟田口・サルコリ - 1912年6月23日: 第2回大音楽会 横浜バンジョークラブとの合同演奏会でマンドリン独奏を披露。
神田青年会館 (指揮者:アドルフォ・サルコリ・、田中常彦) - 1913年6月12日: サルコリー氏音樂会 (ピアノ)ライサー女史・(ヴァイオリン)杉山長谷夫 京都青年会館
- 1913年6月14日: サルコリー氏音樂会 (ピアノ)ライサー女史・(ヴァイオリン)杉山長谷夫 大阪青年会
- 1913年6月??日: サルコリー氏イタリアに一時帰国
- 1913年10月19日: 歌劇演奏会(フランシス=モツト夫人・サルコリ・他) 帝国劇場
- 1913年10月28日: 大阪帝國座の音樂會 ヅブテウイツチ氏のヴァヰオリン,サルコリーの聲樂,パウロスキー氏のピアノ及び東京マンドリン團
大阪北濱帝國座 - 1913年10月30日: ジユヱツぺ・ヴヱルデー百年祭記念演奏會 帝國ホテル
- 1914年:
- 1915年7月3日: 第4回大音楽会 (指揮者:アドルフォ・サルコリ・、田中常彦)慶応義塾大ホール
- 1915年11月14日: 第5回奉祝御大典 大音楽会 (テノール独唱/ギター伴奏:アドルフォ・サルコリ、マンドリン独奏:田中常彦)精養軒ホテル
- 1915年12月??日: 明治音樂会 第59回
- 1916年6月17日: 第6回大演奏会 (指揮者:アドルフォ・サルコリ)慶応義塾大ホール
- 1921年 ─ 1923年:サルコリが演奏した記録は見られない。
この頃、サルコリの弟子である田中常彦(マンドリニスト)・鉄能子(声楽家)も下位春吉(1883-1954)を頼り渡伊。 - 1922年6月: サルコリー氏、6日仙台市に催される演奏会を皮切りに東北,北海道方面に演奏旅行をする。
- 1922年7月24日: 三浦環女史ザルコリー氏演奏会 神田靑年会館
- 1922年11月: サルコリー氏東北,北海道への演奏旅行。
- 1923年9月1日:関東大震災。
- 1924年9月19日ザルコリー氏伊太利から帰朝。再び声楽教授する。
- 1925年:
- 1927年:
- 1933年: シエナ会大演奏会
- 1936年3月: 死去
[*参照]:アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(2)/〈金沢星稜大学 人間科学研究 第 10 巻 第 2 号 平成 29 年 3 月
アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(4)/〈金沢星稜大学 人間科学研究 第 12 巻 第 1 号 平成 30 年 9 月〉
アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(6)/〈金沢星稜大学 人間科学研究 第 13 巻 第 1 号 令和元年 9 月〉
[*画像出典元] :音楽科における歌唱指導に関する歴史的研究(藤田文子)茨城大学教育実践研究39(2020),69-76/P72/
挿画「カヴァレリア・ルスティカーナ」の舞台写真:丸山洋子氏提供