1905: The first mandolin quartet in Japan Kenpachi Hiruma

1905年(明治38年)??月??日 わが国最初のマンドリン四重奏団

[*挿画]:片岡マンドリン研究所/歴史の部屋/比留間賢八・きぬ子の歴史と音楽史 より


[メンバー] : 左端より山内英夫(里見 弴)・菅田敏光比留間賢八高崎弓彦
1905年(明治38年)??月??日 学習院輔仁会[*1]における、わが国最初のマンドリン四重奏団



『里見弴:さとみ とん』本名:山内英夫(1888年 - 1983年)は、小説家。有島武郎・有島 生馬の弟。
明治43年(1910年) 武者小路実篤、志賀直哉らと『白樺』を創刊。

  • 1903年(明治36年)9月、中等科4年(当時16歳)
    この頃、ギターの比留間賢八に就いて菅田とともにマンドリンを習う。
  • 1905年(明治38年)10月(当時18歳)『オルフォイス演奏会』でマンドリンを演奏。とある。

『菅田敏光(すだ としみつ』は、山内英夫(里見 弴)の旧友であり、児島喜久雄、中村貫之、大村謙太郎、田中治之助らと共に「絢友会」メンバーになった。

『高崎 弓彦(たかさき ゆみひこ』1880年(明治13年)8月11日[1] - 1958年(昭和33年)4月9日[1][2])は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。


[*参照]:小谷野 敦(作家・比較文学者)ホームページ/文豪たちの詳細年譜 より



[*1]:学習院輔仁会
学習院輔仁会(ほじんかい)は、明治22年(1889年)に学生全体を包括する組織として創設されました。学生間の融和を図り、課外活動の中心機関となることを目的としています。







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