The day of the first demonstration at Morishige Takei's residence in 1916 (Taisho 5).
1916年(大正5年)6月4日 『第1回試演会』当日「シンフォニカ・マンドリーニ・オーケストラ」 於 平生合奏場

[*後列] :真中 武井守成・花子夫妻、右端 田中常彦
[第一マ]田中常彦・武井守城(弟)・田中 伸、[第二マ]佐藤信忠・濱口樟一朗、[マンドラ]市川清、[ギター]武井守成、[ピアノ]武井夫人
[挿画出典]:digitalguitararchive/Morishige Takei:Published by Robert Coldwell on February 4, 2012
1928年(大正)9月初旬 合奏所増築落成 『正容楽堂』

[挿画出典]:digitalguitararchive/1954-01-06-Armonia
| 1916年(大正5年)6月4日 『第1回試演会』当日 |
大正4年秋10月頃、本郷の武井邸に武井兄弟[*武井守成・武井守城]と田中常彦氏とで時折合奏を行って居たのが実に本オルケストラ創立で其の12月末、佐藤信忠氏がこれに加わり第1マンドリンが田中氏と武井(弟)氏、第2マンドリンが佐藤氏、ギターが武井氏、ピアノが武井夫人[*武井花子]と言う配置で稍(やや)組織的に合奏を行い得るように成ってからオルケストラ設立の曙光を認めるように成りました。
大正5年正月、勿勿(ふつふつ)私たちは此の合奏団に初めて「シンフォニア・マンドリニ・オルケストラ」の名を冠し標章を作り尚メンバー徴章をも製作して各自がもつことにしましたが当時の人数及び演奏曲等よりすれば「オルケストラ」の名は随分烏滸(おこ)がましい次第でありました。
然し2月に入って、矢野幸一氏、4月に市川清、濱口彰一郎両氏、5月に田中伸氏を迎え同時にその時分迄楽譜に苦しんでいた私達意の許へかねて注文しておいた合奏曲が多数、伊、米両国から到着し、且楽器もマンドラ、マンドロンチェロ、ハープギター等が手に入ったので、オルケストラの基礎は漸く強固を加えるようになったのです。(矢野幸一氏は、マンドラのパートを担当していたのですが間もなく郷里に用事が起こったので遂に日浅くしてオルケストラを退きました。)
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[*転記]:本邦斯界過去現在/付録 オルケストラ・シンフォニカ・タケイ10年回顧/P.468
1933年12月18日 第34回演奏会
1934年 オルケストラ・シンフォニカ・タケイ 年賀状写真

上記挿画は第34回演奏会(昭和8年12月18日)開催時の記念写真だと思われる。[1934-43-Armonia P.18]
第35回演奏会が開催されたのは1934年5月下旬と有ることから。以下・・・[前略]~来五月下旬神宮外苑日本青年館に開催の本オルケストラ第三十五回演奏會に愛読者諸氏にして来聴御希望の方は~[後略]昭和9年5月1日発行 マンドリン・ギター研究より
1934年の年賀状とするならば、1933年12月の「第34回演奏会」の記念写真だと推察されます。
[挿画出典]:digitalguitararchive/Morishige Takei:Published by Robert Coldwell on February 4, 2012
